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東京地方裁判所 平成8年(刑わ)2681号 判決 1999年11月12日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、オウム真理教(当時宗教法人。以下「教団」という。)に所属していたものであるが、

第一  教団代表者であったAことA'並びに教団に所属していたB、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、Oらと共謀の上、いずれも東京都千代田区霞が関二丁目一番二号所在の帝都高速度交通営団地下鉄(以下「営団地下鉄」という。)霞ケ関駅に停車する営団地下鉄日比谷線、同千代田線、同丸ノ内線の各電車内等にサリンを発散させて不特定多数の乗客等を殺害しようと企て、山梨県西八代郡上九一色村富士ケ嶺九二五番地の一所在の「ジーヴァカ棟」と称する教団施設内においてサリンを生成した上、

一  L運転の自動車で送られたGが、平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田佐久間町一丁目二一番所在の営団地下鉄日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋三個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右秋葉原駅から同都中央区築地三丁目一五番一号所在の同線築地駅に至る間の同電車内又は各停車駅構内において、別表1番号1ないし8記載のとおり、P子(当時三三歳)ほか七名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前八時五分ころから平成八年六月一一日午前一〇時四〇分ころまでの間、同区日本橋小伝馬町一一番一号所在の同線小伝馬駅構内ほか七か所において、別表1番号1ないし7記載の右P子ほか六名をサリン中毒により、同番号8記載のQ(当時五一歳)をサリン中毒に起因する敗血症により。それぞれ死亡させて殺害するとともに、別表2番号1ないし3記載のとおり、R(当時三五歳)ほか二名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

二  M運転の自動車で送られたHが、平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都渋谷区恵比寿南一丁目五番五号所在の営団地下鉄日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右恵比寿駅から前記霞ケ関駅に至る間の同電車内において、別表1番号9記載のとおり、S(当時九二歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前八時一一分すぎころ、同都港区虎ノ門五丁目一二番一一号所在の同線神谷町駅構内において、サリン中毒により同人を死亡させて殺害するとともに、別表2番号4及び5記載のとおり、T(当時六一歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

三  被告人運転の自動車で送られたIが、同月二〇日午前八時ころ、東京都文京区湯島一丁目五番地八号所在の営団地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右御茶ノ水駅から同都中野区中央二丁目一番地二号所在の同線中野坂上駅に至る間の同電車内又は右中野坂上駅構内において、別表1番号10記載のとおり、U(当時五四歳)をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同月二一日午前六時三五分ころ、同都新宿区河田町八番地一号所在の東京女子医科大学病院において、サリン中毒により同人を死亡させて殺害するとともに、別表2番号6ないし8記載のとおり、V子(当時三一歳)ほか二名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

四  N運転の自動車で送られたJが、同月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田駿河台三丁目先所在の営団地下鉄千代田線御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右新御茶ノ水駅から同区永田町一丁目七番一号所在の同線国会議事堂前駅に至る間の同電車内又は前記霞ケ関駅構内において、別表1番号11及び12記載のとおり、W(当時五〇歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどし、よって、同日午前九時二三分ころから同月二一日午前四時四六分ころまでの間、同区内幸町一丁目三番二号所在の浩邦会日比谷病院ほか一か所において、サリン中毒により右Wほか一名を死亡させて殺害するとともに、別表2番号9及び10記載のとおり、X子(当時二五歳)ほか一名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

五  O運転の自動車で送られたKが、同月二〇日午前八時ころ、東京都新宿区四谷一丁目一番地所在の営団地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において、床に置いたサリン在中のナイロン・ポリエチレン袋二個を所携の先端を尖らせた傘で突き刺し、サリンを漏出気化させて同電車内等に発散させ、右四ツ谷駅から同線池袋駅で折り返した後前記霞ケ関駅に至る間の同電車内において、別表2番号11ないし14記載のとおり、Y(当時三七歳)ほか三名をしてサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、同別表加療等期間欄記載の各加療等日数を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたに止まり、殺害の目的を遂げず、

第二  教団に所属していたN、J、O、Z子及びB1らと共謀の上、同じく教団に所属していたC1が、先に東京都品川区上大崎三丁目四番一号付近路上で発生した被害者D1に係る逮捕監禁事件の犯人として逮捕状が発せられ、警察により指名手配されている者であることを知りながら、右C1の逮捕を免れさせる目的で、平成七年三月二三日ころから同年四月一一日ころまでの間、被告人らが借り受けた同都豊島区東池袋三丁目一番五号所在のサンシャインシティプリンスホテル客室、石川県金沢市香林坊二丁目一番一号所在の金沢東急ホテル客室、同県鳳至郡穴水町字根木一四の六三番一三所在の貸別荘「千里浜荘」、同県金沢市高岡町一番五〇号所在の金沢ニューグランドホテル客室及び京都市下京区東洞院通塩小路下ル東塩小路町六八〇所在の京都センチュリーホテル客室に右C1を宿泊させて匿い、あるいは、その間、これらの場所等において、同人に変装用の婦人服、婦人用かつら及び婦人靴等を供与して変装させ、同人の顔面に整形手術を施してその容貌を変えるなどし、もって、犯人を蔵匿するとともに隠避せしめた

ものである。

(証拠)《省略》

(争点に対する判断)

一  弁護人は、判示第一の事実(いわゆる地下鉄サリン事件。以下、「本件」という。)について、①地下鉄電車内において散布されたサリンの殺傷能力についての被告人の認識を争い、地下鉄乗客等に対する殺意そのものないし確定的殺意がなかった旨、また、②共同正犯は成立せず、幇助犯に問われるにすぎない旨主張し、被告人も右①の主張に沿う供述をするほか、③自分はCの指示でIを送迎したにすぎず、AことA'(以下「A」という。)と共謀したことはない旨主張するので、以下、各争点について検討する(以下、再掲する氏名については姓のみを記載する。)。

二  関係各証拠(被告人の検察官調書については、弁護人が信用性を争っている部分を除く。)によれば、本件の背景事情たるオウム真理教の教義、活動、被告人の教団との関わり、本件に至る経緯及び犯行状況等について、以下の事実が認められる。

1  本件の背景事情

(一) 教団の設立、拡大状況

オウム真理教は、Aが昭和五九年二月ころにヨガの修行等を目的として設立した「オウム神仙の会」を母体として、昭和六二年七月ころその名称を改称したもので、平成元年八月には、東京都の認証を受けて宗教法人オウム真理教となった。

Aは、教団の教祖として、原始仏教やチベット仏教をもとに教義を説き、また、自らを「最終解脱者」と称して、信者らには自らを「尊師」、「グル」と呼ばせ、同人への絶対的に帰依してその教えを忠実に実践すれば解脱に至ることができる旨説いた。そして、教団が真理を実践できる唯一の団体であるとして、他の宗教団体や一般社会を敵視し、できるだけ多くの人々を入信させ出家させることが真理の実践となるとも説いたため、教団においては大規模な信者獲得活動が行われ、また、出家者が大量に移住するための大規模施設も建設された。このような信者獲得活動や教団施設の進出の過程においては、信者の家族や付近住民等とのトラブルが絶えなかった。

教団では、修行の進み具合等によって出家信者が幾つかの「ステージ」に振り分けられ、「尊師」であるAを頂点としたヒエラルキーの組織を形成し、下位者は上位者の指示命令に服従することとされていた。そして、平成六年六月ころには、教団内の組織に国家組織に類似した「省庁制」が採用された。

(二) 教団の特殊な教義及び武装化

Aは、教団設立当初から自らに対する絶対的帰依を強調していたが、昭和六三年ころからは、自らを無にして「グル」であるAと合一せよという「ヴァジラヤーナの教義」を説くようになった。Aは、平成二年二月の衆議院議員選挙に幹部信者らとともに立候補したが、全員落選という結果に終わり、このことから、Aは、右教義を更に進めて、現世は煩悩に満ちており、人々は悪業を積んでいるのであるから、このような人々をAの命令によって殺害することは、「ポア」(衆生を一段高い世界へ引き上げることによって救済するというもの。)として正当化されるとし、このような教義の下に、Aは、教団内では同人に逆らう者等を「ポア」と称して殺害させる一方、国家権力との対決色を強め、独自の権力を握ろうとして、教団の武装化を企図するようになった。

Aは、平成二年ころから、密かにボツリヌス菌の培養を行わせたり、平成五年八月ころには、教団幹部のE1らに命じて炭疽菌やボツリヌス菌の培養を行わせ、これを教団の製造した噴霧車を使って東京都内で噴霧させるなどしたものの失敗し、さらに自動小銃の製造を企図して、その部品を製造させるなどしたほか、後記のとおり、毒ガス化学兵器としてサリンを生成させたりした。

(三) 被告人の教団への入信、教団活動への関わり

被告人は、高校を中退した後、昭和六一年ころ、Aの著書である「超能力秘密の開発法」を読んでこれに興味を持ち、「オウム神仙の会」に入信した。そして、昭和六二年には出家し、教団経営の弁当屋、熊本県阿蘇郡波野村の教団施設の建設等の仕事(いわゆる「ワーク」)をする傍ら、ヨガの修行や瞑想等を行っていた。

その後、被告人は、平成五年一〇月以降「法皇警備」の一員としてAの運転手となり、平成六年六月の省庁制発足の際にNを「大臣」とする「自治省」の「次官」となった後も、引き続きAの運転手を務めた。本件当時の被告人の教団内でのステージは「菩師」であり、「尊師」であるA、「正大師」、「正悟師」、「菩師長」に次ぐ幹部的地位にあった。

被告人は、右に加えて、平成五年八月のボツリヌス菌の培養及び噴霧に直接関与したり、教団のダミー会社から山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九一色村」という。)所在の「クシティガルバ棟」と称する教団施設へサリン原料の薬品類が入ったドラム缶を輸送したり、同年一二月ころからは、Aの指示により殺害された教団信者の遺体の焼却に関与したりして、前記「ヴァジラヤーナの実践」に関わる違法活動を行っていた。

(四) 教団におけるサリンの生成

(1) サリンの毒性

サリンは、第二次世界大戦中ドイツにおいて人の大量殺戮を目的とした兵器用神経ガスとして開発されたもので、その毒性は、人の神経における信号伝達機能を阻害することにより発現し、重症になるとムスカリン様症状の失禁、縮瞳、気管支分泌増加、肺水腫による呼吸困難、中枢神経症状の意識混濁、昏酔、体温上昇、ニコチン様症状の全身痙攣、呼吸筋麻痺に陥って、最終的には死に至るというものである。毒性の強さは、一立方メートルあたり一〇〇ミリグラムで一分間暴露すれば、半数の人間が死に至るというものであり、極めて殺傷能力が強いものである。

(2) サリンについての説法等

Aは、かねてから、いずれ「ハルマゲドン」すなわち世界最終戦争が起きて世界が破滅すると説いていたが、平成五年ころからは、ハルマゲドンに使用される兵器としてプラズマ兵器、細菌兵器に加えて化学兵器を挙げ、サリンが化学兵器の毒ガスであるとして、その毒性等について繰り返し説法等で触れるようになり、また、教団が敵対勢力から毒ガス攻撃を受けている旨の説法をするようになった。なお、Aの説法は、教団で貸し出されるカセットテープや「ヴァジラヤーナ教学コース」と題する書籍等に記録され、信者とりわけ出家信者は、これらを繰り返し聞いたり読んだりして、右教義を完全に習得することを要求されていた。

(3) サリン生成の開始

Aの意を受けた教団幹部のBは、平成五年六月ころ、Eに対し、大量生産の可能な毒ガス兵器の開発を命じた。EはBと相談しつつ研究を重ね、サリンが大量生産に最も適しているという結論を出し、同月ころから教団のダミー会社を使って原料の薬品類を大量に仕入れさせた上、同年八月に建設されたクシティガルバ棟においてサリンの生成実験を開始し、同年一一月ころまでには五工程からなるサリンの生成方法を確立し、サリンの標準サンプル約二〇グラムの生成に成功した。そして、その後数度にわたり、教団幹部のFらの協力を得て、大量のサリンを生成した。

(4) 教団によるサリンの使用

Aは、平成五年一二月ころ、教団が敵視していた他の宗教団体の幹部をサリンによって殺害することを命じ、教団幹部のNらにこれを試みさせたが、失敗に終わり、かえってNがサリン中毒により死亡寸前の状態にまで陥った。

また、平成六年六月二七日には、長野県松本市内で、Bらが、教団で製造した噴霧車によりサリンを噴霧し、これにより多数の死傷者を出すに至った(いわゆる「松本サリン事件」)。

(5) サリンプラントの建設及び証拠隠滅

教団では、Aの命令により、平成六年ころから、上九一色村所在の「第七サティアン」と称する教団施設において、サリンの大量生産を目的としたプラントの建設を進めていたが、前記松本サリン事件の後、右教団施設のある上九一色村において異臭騒ぎがあったことや教団がサリン原料を大量に購入していたこと等を報じた新聞記事が出たりし、また、平成七年一月一日には、上九一色村でサリン残留物が検出された旨新聞で報じられたので、Aの指示を受けたBの命により、E及びFらが、右サリンプラントを神殿に見せかけるよう改造したり、生成済みのサリンを加水分解により処分したりした。

(五) 被告人のサリンについての認識

被告人は、平成五年夏にボツリヌス菌の培養に関与した際、関係者のミーティング等において、E1やEがサリンを意味する「サリーちゃん」という言葉を使用して会話しているのを聞き、これがサリンという物質を意味することを知った。そして、被告人は、右作業場所に置いてあった化学兵器についての文献を調べるなどして、サリンがナチス・ドイツで開発された化学兵器として殺傷能力を有する毒ガスである旨の知識を得た。

また、同年一二月の他の宗教団体幹部へのサリンによる襲撃が失敗したことについて、被告人は、他の信者からその経緯を聞き知った。

さらに、被告人は、松本サリン事件で死傷者が出たこと及びこれは教団に敵対する者の犯行であることを記載した教団発行の壁新聞を右事件の数日後に見た。

2  本件に至る経緯

(一) 教団に対する強制捜査の危惧

Aは、平成七年二月二八日に、教団幹部のCやFをしていわゆる目黒公証役場事務長拉致事件を実行させたものの、同年三月には、マスコミ報道で同事件への教団の関与が疑われるに至った。Aは、このような状況の中で、教団に対して警察の大規模な強制捜査が実施されるのではないかという危惧をこれまで以上に強く抱くようになった。

(二) Aらによる謀議状況

右の状況の中で、平成七年三月一八日未明ころ、東京都内の教団経営の飲食店における会合から上九一色村へ向かう途中のリムジン車内で、Aが、同乗していたB、Cら教団幹部に対し、強制捜査の実施可能性を尋ねたところ、同人らが強制捜査が入る可能性は高いと答えたので、Aは、それに応じて、強制捜査を阻止するためには何をすればよいか意見を求めると、Bが「地下鉄にサリンをまいたらどうでしょう。」などと答え、これにAが呼応し、同乗していた教団幹部のDにサリンが生成可能であることを確認した上で、Bに対し、同人の総指揮の下で地下鉄電車内にサリンを散布することを命じ、その実行役として、Bの挙げたG、H、I、KにJを加えた五名を指名した。

(三) 実行犯らにおける謀議の状況等

(1) Bは、同日早朝ころ、G、J、I、Kを自室に呼び、Aからの指示であることを示しながら、警察による教団への強制捜査を阻止するために地下鉄電車内にサリンを散布することを指示し、右四名は直ちにこれを承諾した。そして、サリンの散布方法について、Aの出したアイデア等も挙げながら話し合った。

同日夕刻、G、J、K、CらがBの部屋に集まり、Cが用意した地下鉄路線図等を見ながら、警視庁等の官庁が集中する営団地下鉄霞ケ関駅を通る日比谷線、丸ノ内線及び千代田線の三路線でサリン散布を実行すること、通勤時間帯を狙って午前八時に一斉に散布すること、各路線毎に何両目にサリンを散布するか等について決定した。また、GとCが、サリン散布の実行者を確実に送迎するための自動車の運転手も必要である旨提案し、運転手の候補として、L、F1及びG1を挙げたところ、Bもこれに賛成し、運転手役の人選についてAの指示を仰ぐ旨述べた。なお、サリン散布の方法については、Bにおいて、IとKに引き続き検討するよう指示した。

その後、Bは、同日夜、Hを自室に呼び出し、同人にも地下鉄電車内にサリンを散布してもらう旨告げて、同人の承諾を得た上、他の実行役と連絡を取るように指示し、同人は、I及びKらと会って、Bの前記指示内容を確認した。

(2) 同月一九日朝、G、H、I、Kらは、Gが誘ったL、F1、G1らとともに、二台の自動車に分乗して上九一色村の教団施設を出発し、教団がアジトとして使用していた東京都杉並区《番地省略》所在の民家(以下「杉並アジト」という。)に到着した後、各自の担当路線、乗降車駅、乗車位置等について打合せをし、その後、犯行に使用する変装用のかつら、眼鏡、衣類等を購入したり、実行予定の地下鉄の駅を下見するなどして、右杉並アジトに戻った。

一方、B及びCが、同日昼ころ、上九一色村の「第六サティアン」と称する教団施設の一階にあるAの部屋に赴いて、サリン散布の実行役を送迎する自動車の運転手役の選定を仰いだところ、Aは、教団「自治省大臣」のN、教団「自治省」に所属しAの運転手を務めている被告人、O、同じく教団「自治省」に所属しAの運転手を務めたことのあるL、教団「諜報省」に所属するMの五名を挙げ、さらに、実行役と運転手役のペアの組み合わせを、GとL、HとM、Iと被告人、JとN、KとOとするよう指示した。

これに応じて、BとC、実行役と運転手役の集合場所を、教団がアジトとして使用していた東京都渋谷区《番地省略》渋谷ホームズ四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)に決め、各実行役及び運転手役にこれを連絡することとした。Cは、杉並アジトに赴き、前記七名及び後で合流したMに対し、運転手役が前記五名になったことを伝えた上、F1、G1以外の者に対して、渋谷アジトに移動するよう指示した。

(3) Bは、同日昼ころ、Oに対し、本件運転手役となる五名の名前を書いたメモを渡した上で、Mを除く他の運転手役四名で午後七時までに渋谷アジトに行くよう指示した。Oは、まず、上司であるNに右指示を伝達した。次にOは、同人や被告人ら教団の「法皇警備」の者らが起居している「ヴィクトリー棟」と称する教団施設に行き、そこにいた被告人に対し、Bから右指示があったこと、上司であるNも一緒であることを伝え、右メモを被告人に見せた。そして、Lとは連絡がとれなかったため、N、被告人、Oの三名で、同日午後四時ころ、第六サティアンを自動車で出発し、途中、教団東京総本部等に立ち寄った後、渋谷アジトに午後八時ころ到着した。

(4) 同日午後九時過ぎころ、本件実行役及び運転手役、そしてCの計一一名が渋谷アジトに集結すると、Cは、実行役及び運転手役をその周りに集め、実行役と運転手役の組み合わせがAの指示により前記のとおり決定したこと、実行役の散布する一人あたりのサリンの量が当初の予定より増えたこと等を伝えるとともに、Cの持参した地下鉄路線図等を見ながら、サリンの散布は霞ケ関駅を利用する乗客を狙って午前八時に一斉に行い、霞ケ関駅の手前の駅で降車する直前に行うこと等を指示し、各ペアの担当路線、実行役の乗降車駅、乗車する車両等を確認して指示した上、運転手役に対しては、緊急連絡先として同人の携帯電話の番号を教えるなどした。

(なお、右Cの指示内容について、C自身は、各ペアの担当路線、実行役の乗降車駅やサリン散布の時刻について指示した記憶はない旨供述している。しかし、実行役及び運転手役らにとって、Cの指示はまさに自らがこれから行う「ワーク」の内容の最終確認という性質を有するのであるから、右指示内容についての実行役及び運転手役の各供述は、比較的確実な記憶に基づくものと言えるところ、現にこれについて供述をしている実行役のG、H、I、Jや運転手役のLらの供述内容は、細部においては齟齬があるものの、全体としてはCからほぼ前記内容の指示があった旨一様に供述しているのであって、全体として信用することができる。これに対してCの右供述部分は、実行役及び運転手役らの供述内容と比べて一人だけ異なっており、これに符合する証拠もない上、前記内容の指示の有無は、Cが本件の現場指揮者か否かという同人自身の責任を決定的に左右することからすると、自らの役割を矮小化させている疑いがあり、信用することができない。)

(5) その後、各実行役及び運転手役は、各自の乗降車駅等の下見に行くこととなり、Iと被告人は、JとNのペアとともに、被告人運転の自動車でJR御茶ノ水駅付近に赴き、そこでJ及びNと一旦別れた後、営団地下鉄丸ノ内線御茶ノ水駅へ行き、同駅の近くの路上をサリン散布後の待合せ場所とすることにした。そして、再びJらと合流して四名で渋谷アジトへ戻ろうとしたが、その途中でIが、自分がサリン中毒になった場合はどうすればよいかという趣旨のことを言ったところ、Jが、東京都中野区野方にある教団附属医院(AHI)で治療してもらえるから運転手役は道を覚えてほしい旨言ったので、被告人は、Jの案内で右教団附属医院に向けて右自動車を運転し、同医院への経路を確認した後、渋谷アジトに戻った。

実行役及び運転手役が渋谷アジトに戻った後、Cは、犯行に使用する自動車の調達の手配がまだできていなかった二台分についてNと相談した上、出家信者からこれを調達し、さらに、G、N、O及びLらに対し、既に依頼してあった在家信者のところへ自動車三台を引き取りに行かせ、その後一人で上九一色村へ戻った。

(四) 本件サリンの生成

Bは、同月一八日ころ、Fに対し、地下鉄電車内にサリンを散布することになったので、Dと協力して、前記1(四)(5)におけるサリン等を処分した際にFが隠匿したサリンの中間生成物であるメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成するよう指示し、FはDが研究施設として使用していた「ジーヴァカ棟」と称する教団施設に行き、既にBから指示を受けていたDに対し、右メチルホスホン酸ジフロライドの入った容器を手渡した。また、そのころ、DはAの部屋において、同人からサリンを生成するよう指示され、翌一九日昼ころにも、Aから、サリンを「早く作れ。」「今日中に作れ。」などと指示された。

これを受けて、FとDは、Eからメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成する方法について教示を受けた後、ジーヴァカ棟の実験室において、Eの助言を得ながら、Dの部下である出家信者らに補助をさせた上で、サリンの生成を開始し、同日夜までに約三〇パーセントのサリンを含有する約五ないし六リットルのサリン混合液を生成した。そしてDは、A及びBに対し生成したサリンを混合液の状態から分留するとさらに半日以上かかる旨報告したところ、Aは混合液のままでよい旨指示した。

F及びDらは、Bの指示を受けて、右サリン混合液を入れる袋を製作することとし、あらかじめ購入してあったナイロン・ポリエチレン袋を、ジーヴァカ棟に備え付けられていたシーラーと呼ばれる圧着機を使って加工し、約二〇センチメートル四方のナイロン・ポリエチレン袋(以下、便宜上「ビニール袋」という。)を作った上、これに右サリン混合液を注入して注入口を右シーラーで閉じて、一一個のサリン入りビニール袋を完成させ、さらに、それらをいずれも二重袋にして、箱に収納した。

(五) 犯行の予行演習とサリンの授受

Bは、同月二〇日午前一時ころ、渋谷アジトにいたGに数度電話をかけ、サリンを引き渡すので、実行役全員は上九一色村の第七サティアンに来るよう指示した。これに応じて、実行役五名は、L及びOの運転する二台の自動車に分乗して渋谷アジトを出発して、第七サティアンに向かった。

Bは右指示をした後、Aの部屋へ行ったが、その際、Dが前記サリン入りビニール袋を入れた箱を持ってきたので、Aは、右箱の底に手を触れて瞑想し、サリンに宗教上の意味合いを持たせる「修法」と称する儀式を行った。

その後、Bは、Cに対し、サリン散布の方法について、サリン入りビニール袋を先を尖らせた傘で刺して突き破ることにする旨述べ、そのための傘の購入を指示した。Cは、これに応じて富士宮市内のコンビニエンスストアでビニール傘七本を購入してBに渡し、Bは、H1に指示して、それらの先端の金具部分をグラインダーで削って尖らせた。

その後、実行役五名が第七サティアンに到着すると、Bは、サリン散布を右のような方法で行う旨告げ、実行役らに対して、ビニール袋に水を入れたものを先端を尖らせたビニール傘で刺すなどさせて、犯行の予行演習を行わせた。その上で、Bは、実行役らにサリン入りビニール袋一一袋とビニール傘を渡し、実行役らは、直ちに前記自動車に分乗して渋谷アジトに戻った。

なお、被告人は、この間、渋谷アジトにおいて寝転がるなどして仮眠を取っていた。

3  犯行状況等

(一) 実行役五名は、同日午前五時ころ第七サティアンから渋谷アジトに戻った後、先にDから渡されたサリン中毒の予防のための錠剤を服用し、また、Jが他の実行役にサリン中毒の治療薬である硫酸アトロピン入りの注射器を渡すなどの準備を行い、各実行役間でサリン入りビニール袋を分配した。なお、右ビニール袋のうちの一つについて、二重袋のうちの中袋からサリンが漏れているのが発見され、Gが「サリンが漏れている」旨発言し、結局同人がそのビニール袋を受け取ることになった。

各実行役は、午前六時ころ、ペアを組む各運転手役の運転する自動車に乗車して、相前後して同所を出発し、各担当地下鉄路線において、それぞれ判示第一の一ないし五のとおりの犯行を行った。

(二) 被告人は、同日午前六時ころ、Iに対して午前六時になったことを告げて出発を促し、サリン入りビニール袋の入ったショルダーバッグと先端を尖らせたビニール傘を持った同人を自動車に乗車させて渋谷アジトを出発した。被告人は、Iが乗車を予定している池袋駅まで行ってしまうと、犯行後に待ち合わせることにした時刻までに御茶ノ水駅に到着できないかもしれないと考え、同人を四ツ谷駅付近で降ろし、営団地下鉄御茶ノ水駅の近くの待合せ場所へ向かい、そこで待機した。

Iは四ツ谷駅から営団地下鉄丸ノ内線で新宿へ出て、さらにJR埼京線で池袋に行った後、営団地下鉄丸ノ内線池袋発荻窪行き電車に乗車し、判示第一の三のとおりの犯行を行い、同線御茶ノ水駅付近で待機していた被告人運転車両の後部座席に乗車した。そして、被告人が渋谷アジトに向けて自動車を運転していたところ、Iにおいて、ろれつが回らなくなった上、体が痙攣するなど、サリン中毒の症状を訴えたので、急遽教団付属病院に赴いたが、同病院の関係者に事情を説明することができず、結局そのままIを連れて、同日午前九時ころ渋谷アジトに戻り、そこでIはJから治療を受けた。

三  殺意の有無について

1  前記認定した事実経過等によれば、次のような点が指摘できる。

(一) まず、遅くとも平成五年以降、Aの説法や教団発行の書籍の中において、サリンが猛毒の化学兵器であることが度々説かれており、被告人も教団の出家信者として右説法等に当然触れていたものと認められること、被告人は、平成五年夏ころ、ボツリヌス菌の培養に関わった際に、右作業場所に置いてあった文献を読んでサリンが殺傷能力のある毒ガス兵器であることを知ったこと及び松本サリン事件で多数の死傷者が出たことが記載された壁新聞が教団施設内に継続的に掲示され、被告人もこれを見ていたこと等の事実に照らせば、被告人は、サリンが殺傷能力を有する猛毒物質であることを十分認識していたものと認められる。

(二) 次に、被告人が、前記ボツリヌス菌培養に関わった際に、EやE1がサリンのことを指す「サリーちゃん」という言葉を使用しているのを聞いたことからすれば、教団が細菌兵器だけでなく、サリンも生成しようとしていることを知ったと言えること、教団のダミー会社からクシティガルバ棟への薬品の運搬に関与した際、右薬品が少なくとも毒ガス開発の原料である旨の認識を得たものと認められること、平成五年一二月に他の宗教団体幹部に対する襲撃においてサリンが使われたが失敗したことを聞いたこと、第七サティアンがサリン製造の為のプラントであると理解していたこと等に照らせば、被告人は、本件当時、教団において毒ガス兵器の一種であるサリンの生成を組織的に行っていることを認識していたものと認められる。

(三) また、渋谷アジトにおけるCの指示の内容からすれば、この時点で、被告人は、実行役が地下鉄電車内においてサリンを散布することを認識したと認められること、本件前日の下見の際に教団附属医院への道順を確認するなど、実行役のIがサリン中毒になることを想定した行動を取っていたこと及び本件出発直前に、渋谷アジトにおいて、Gが本件サリン入りビニール袋を取り上げるのを目撃した際、同人が内袋からサリンが漏れている旨発言したのを聞き知る状況にあったと認められること等に照らせば、被告人において、実行役らがサリンを地下鉄電車内に散布することを認識した上で本件に関与したものと認められる。

(四) 以上の諸事実は、被告人において、実行役が地下鉄電車内にサリンを散布することによって、地下鉄の乗客等を殺害することを確定的に認識した上で、本件に関与したことを強く推認させる。

2(一)  また、被告人は、起訴後における検察官の任意の取調べに係る供述調書(以下「検察官調書」という。)において、①平成五年夏ころ、細菌兵器であるボツリヌス菌を培養するワークを指揮していたE1が、毒ガス化学兵器であるサリンの話をEとの間でしていたことから、E1がEと相談の上、サリンを教団内で製造しようとしていると思った旨、②同年秋ころ、教団が化学薬品を大量に仕入れる際、教団の名前を隠すために、ダミー会社として利用していた「ベル・エポック社」で、大型トラックを運転するワークに携わっていたところ、教団が買い入れた多量の化学薬品を、当時Eが実験室として使っていたクシティガルバ棟付近に運搬したが、その際、右薬品が、EとE1が相談していたサリンを製造するための材料と思った旨、③平成六年夏、Lら教団自治省のメンバーが第七サティアンにおける秘密のワークに駆り出され、同サティアン周辺が関係者以外立入禁止となったことから、同サティアンは、銃器の製造工場かと思ったが、Lらに探りを入れて話を聞いているうちに、化学兵器を製造する工場と分かり、サリンを製造していると思うようになった旨、④前記渋谷アジトにおけるBの指示によって、自分がIとペアを組み、Iは地下鉄丸ノ内線の荻窪方面行き電車を担当し、池袋駅で乗車して御茶ノ水駅直前でサリンを散布し、同駅で降車すること、Iを自動車で送迎するのが自分の役割であることを知るとともに、これを地下鉄に散布する以上、乗客に死傷者が出ることを認識した上、これはAの説いていたヴァジラヤーナの教義に基づく救済行為すなわち「ポア」であると思って指示に従った旨、⑤地下鉄の下見に行った際、サリンを散布するI本人がサリン中毒になった場合に治療を受けることを想定して、教団附属医院への道順等を確認するため、同医院へ赴いたこと、その途中、サリン中毒の治療法として解毒剤があるとの話が出た旨、⑥渋谷アジトへ戻った後、Bの指示で実行役の五人が上九一色村の第七サティアンに呼ばれ、サリン入りビニール袋を持ち帰ってきた際、Gが、液体の入った透明のビニール袋を持ち上げているのを見て、「これが、これから地下鉄にまくサリンの現物か。」と思った旨供述し、本件について地下鉄の乗客等に対する殺意を認めている。

被告人の検察官調書には、教団に入信した経緯、教団における活動内容、サリンの毒性について知った過程、教団がサリンを製造していることを知った過程、本件に至る経緯、本件への関与状況等について、極めて具体的な内容が記載されており、また、事後的に得た情報と区別しつつ、自らの記憶に忠実に、記憶が断片的である部分についてはその理由も述べるなどしながら供述されている上(乙A第五号証参照)、本件に関与するについての心の動き、A及びその教義と決別できないまま供述していることについての心情、共犯者らについて被告人の感じた人物像等、本人が自ら供述しなければ到底記載され得ない点が多数存するのであり、かつ、取調べにおいては、出来上がった供述調書の原稿に被告人自身が丹念に赤ペンで修正を加え、例えば、「殺意」という言葉についてはより客観的な「生命を奪う」という言葉に修正してもらったりするなど、細部の表現についてまで気を配りながら調書の作成に応じていたことが認められるのであって(乙A第七号証参照)、その信用性は高いといえる。

(二)  これに対し、被告人の公判供述については、当初の弁護人の質問に対しては、検察官調書に符合する内容の供述もしていたものの、本件に関与した際の主観的認識や心境等については、曖昧な供述を繰り返し、その後、検察官の質問に入ると、次第に事実面の供述についても曖昧なものになり、検察官からその点の追及を受けるや、ついには完全に黙秘するに至ったのであって、その変遷の不合理性、供述態度における真摯性の欠如からみても、自白部分に反する供述内容は到底信用できない。

3  この点、弁護人は、第一に、被告人は、サリンの毒性について漠然とした認識しかなく、サリンの致死量及び本件で散布されたサリンの純度等を具体的に認識しておらず、第二に、①教団においてかつてボツリヌス菌を散布したとき、何の効果もなく終わったこと、②前記宗教団体幹部に対するサリンによる襲撃が失敗したこと、③平成七年一月ころに被告人が第七サティアンのサリンプラントの建設に関与した出家信者から、まだサリンができていない旨聞いていたこと等から、被告人は、本件当時、教団が殺傷能力を有するサリンを保有していることに疑いを有しており、本件において散布するサリンが本当に殺傷能力を有するか否かについては半信半疑の状態にあり、第三に、被告人は、本件の目的について何の指示伝達を受けておらず、攻撃の対象も特定されていなかったとして、被告人には殺意そのものないし確定的殺意がなかった旨主張する。

しかし、第一の点については、前記のとおり、被告人は、少なくともサリンが殺傷能力を有する化学兵器であることは認識していたのであるから、弁護人の主張するように、被告人がサリンの致死量についての詳細な知識を有さず、しかも本件で用いられたサリンの純度までは知らなかったとしても、サリンを散布すると聞いた以上、そのようなものを地下鉄電車内に散布すれば多数の人を殺傷することになることも当然認識していたものと認めるのが相当である。

次に、第二の点については、まず、被告人は、本件出発直前の渋谷アジトにおいて、Gが持っていたサリン入りビニール袋を現に目撃しているのであるから、その時点でまだサリンができていないと認識していたというのは不自然であり、次に、宗教団体幹部に対するサリンによる襲撃の失敗は、散布の方法に原因があり、教団の生成したサリンに殺傷能力がなかったからではないのであって、被告人が、右失敗の原因がサリンの毒性そのものにあったと認識していたと認めるに足りる事情もなく、さらに、本件に至る経緯における被告人の行動、とりわけ、現場の下見の際に廣瀬がサリン中毒に陥ることを想定して、Jの案内で教団附属医院への道順を確認するなどしていたことに照らせば、被告人において、本件サリンの殺傷能力に疑問を有していたとは到底認められない。

また、第三の点については、被告人は、渋谷アジトにおけるCの指示により、官庁が集中する霞が関を狙うことについては認識したと言えるのであって、これに教団において常々国家権力への対抗意識が説かれていたことを併せ考えれば、その限度で本件の目的を察知できたはずである上、本件は、そもそも地下鉄電車内にサリンを散布して乗客を無差別に狙うというものである以上、本件の真の目的や具体的な攻撃相手の認識がなくとも、乗客に対する殺意は十分肯定することができると言うべきである。

4  以上に照らせば、被告人は、実行役が地下鉄電車内にサリンを散布することによって、地下鉄の乗客等を殺害することを確定的に認識した上で、本件に関与したことが認められるのであって、被告人には、確定的殺意を肯認できる。

四  共同正犯の成否について

前記認定した諸事情からすれば、被告人は、渋谷アジトにおいて、Cから、霞ケ関駅に向かう複数の地下鉄路線の電車内で一斉にサリンを散布すること、散布の実行役とその送迎役である運転手役のペアを知らされ、それに従って、実行役が乗るべき電車、乗降車駅の指定と運転手役の連絡方法等、本件犯行の核心とも言える重要事項を明示されてその指示を受け、これを了承しており、この時点で本件の謀議に加わったと言えること、被告人はオウム真理教の出家信者であり、当時教団内において「自治省次官」の地位にあった者として、実行役を含む者らと共に一体となって、「ヴァジラヤーナの教義」に基づく救済行為すなわち「ポア」として、地下鉄の乗客等の殺害という「ワーク」を行うという認識をもって本件に関与していること、被告人の担った役割は、サリン散布の実行役を送迎する運転手役であるが、これは、サリンを散布すべき時間に合わせて実行役を送り出し、実行役がサリンを散布した後すばやくその場を離れさせ、実行役がサリン中毒に陥るなどした場合は迅速な対応をするというものであり、右役割は、本件が複数の地下鉄路線で一斉になされるものであった上、密行性を要するものであったことや、サリンの殺傷能力等に照らせば、本件犯行の遂行に極めて密接した必要不可欠なものであったと言えること、被告人自身、そのような自己の役割を十分認識しながら本件に関与したこと等が認められる。これらの諸事情を総合すれば、被告人は、Aを頂点とする教団幹部らの組織的結びつきを背景とし、共同意思の下に一体となって互いに他の行為を利用補完して実行に移すことを内容とする謀議に参画した上、自ら共同意思形成者の一員として、地下鉄電車内にサリンを散布し多数の乗客等を殺害する行為の一環として運転手役を務めたと評し得るのであるから、被告人は、実行役を含む他の共犯者と共に自己の犯罪を行ったものと認定でき、被告人には本件について共同正犯の成立を認めるのが相当である。弁護人の幇助犯の主張は採用できない。

五  Aとの共謀の成否について

前記認定した本件犯行に至る経緯等からすれば、本件は、Aが命令し、これを受けたBの総指揮の下、現場指揮者、サリンの生成役、その散布の実行役、運転手役との間で共謀が成立し、その実行に至ったことは優に認められるのであって、被告人がAと直接共謀した事実がなくとも、Aとの間においても、いわゆる順次共謀としての共謀共同正犯が成立することになる。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一ないし四の各所為のうち各殺人の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、同五の各所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第二の所為は包括して同法六〇条、一〇三条にそれぞれ該当するところ、判示第一の一は一個の行為で一一個の罪名に、同二は一個の行為で三個の罪名に、同三ないし五はいずれも一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により、判示第一の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重いP子に対する殺人罪の刑、Sに対する殺人罪の刑、Uに対する殺人罪の刑、Wに対する殺人罪の刑及びYに対する殺人未遂罪の刑で処断することとし、各所定刑中判示第一の一ないし五の各罪についていずれも無期懲役刑を、判示第二の罪について懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、同法四六条二項、一〇条により、犯情の最も重い判示第一の三のUに対する殺人罪の刑で処断し他の刑を科さないこととし、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中七〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑理由)

一  本件は、オウム真理教の出家信者であった被告人が、教祖のA及び多数の教団幹部らと共謀の上、通勤時間帯を狙って、多数の地下鉄乗客を殺害する目的で、地下鉄電車内にサリンを散布し、多数の者を死傷させた殺人、同未遂の事案(判示第一の事実)及び他の教団幹部らと共謀の上、いわゆる目黒公証役場事務長拉致事件の犯人として警察から指名手配されていた教団信者を東京都内、石川県内、京都市内の各ホテル等において蔵匿、隠避した事案(判示第二の事実)である。

二1  判示第一の事実(地下鉄サリン事件)について

(一) 本事件の動機、目的は、教団がいわゆる目黒公証役場事務長拉致事件に関与したことが発覚し、教団に対する警察の強制捜査が入ることを恐れたため、大規模なテロ行為で首都中心部を大混乱に陥れることによって右強制捜査を阻止しようというものであるが、それ自体、教団ひいてはAの護持のためならば手段を選ばないという極めて身勝手で独善的な発想に基づくものと言え、全く酌量の余地はない。

(二) サリンは、それ自体人の殺害のみを目的とする化学兵器として開発されたもので、一立方メートルあたりわずか一〇〇ミリグラムで一分間暴露すれば、半数の人間が死に至るという猛毒物質である。本事件で使用されたサリンは、約三〇パーセントの純度で五ないし六リットルの量であるから、その殺傷能力は極めて高かったと言える。被告人らは、そのようなサリンを、平日の午前八時ころ、三路線、五つの地下鉄電車内で、一斉に散布したというものであって、密閉された空間である地下鉄電車内及び駅構内で、しかも、多数の通勤客が集中する時間帯に行われたことに照らせば、多数の死傷者が出ることは当初から明らかであり、このような犯行態様自体、極めて危険かつ悪質である。

(三) また、本事件は、教団の教祖として君臨していたAの命令により、教団幹部らが無差別大量殺人という犯行計画を策定した上、具体的な指揮命令者、サリンの生成役、サリン散布の実行役、それらを送迎する自動車の運転手役らが、綿密な打合せや周到な準備を行った上で敢行したものであって、組織的かつ計画的な犯行である。

(四) そして、本事件によって、一二名が死亡し、重篤者二名を含めた多数の者が負傷したのであり、その結果はあまりにも重大深刻である。

すなわち、一二名の死亡者は、いずれも通勤途上や駅の職員として勤務中に何らの理由もなく突然サリンを吸引させられ、激しい苦悶の中で即死状態又は意識不明の状態に陥った上で、その生命を奪われたものであって、これら死亡者が受けた苦痛の大きさ、無念さは想像を絶するものがあり、遺族ら関係者が受けた衝撃や悲しみも筆舌に尽くし難い。また、二名の重篤者についても、同様の苦悶の後、一命は取り留めたものの、後遺症のため通常の社会生活が全く不能となっており、その苦痛や関係者の衝撃、悲しみの大きさは、死亡者に劣るものではない。また、その他の負傷者においても、相当期間縮瞳、目まい、吐き気等の身体的苦痛を余儀なくされたばかりか、右症状が回復した後も、地下鉄に乗ることに恐怖感を感じるなど、精神的苦痛に悩まされている。

そして、当然のことながら、このような被害者や遺族ら関係者の被害感情は極めて厳しい。この点、被告人が送迎したIの散布したサリンにより生命を奪われた被害者の娘は、当公判廷において、父を返して欲しいという気持ちは事件から約四年経過した現在でも変わらない、本事件に関与した者全員に対して激しい怒りを感じる。被告人に対しては「最も重い刑」すなわち極刑を望む旨、その心情を訴えている。他の被害者や遺族ら関係者も同様に極刑を望んでいるところである。

(五) さらに、本事件は、前記のとおり、大量殺人を目的とした化学兵器であるサリンを、通勤客が集中する地下鉄電車内で散布したという、我が国犯罪史上のみならず、世界的にも類を見ない犯行であり、これによって、国民一般に対して計り知れない恐怖心を与えたばかりか、首都東京の機能に大混乱を来し、我が国の治安に対する国際的な信頼をも揺るがせるに至っており、その社会的影響は深刻である。

(六)(1) 被告人は、本事件において、サリン散布の実行役であるIを地下鉄の駅まで自動車で送迎する運転手役として関与したものであるところ、五人の実行役が一斉にサリンを散布し目的を達するためにはそれぞれの運転手役の果たした役割は必要かつ不可欠なものであった上、被告人は、実行役のIに出発を促し、Iを自動車で送る途中、自らの判断により同人を池袋駅でなく四ツ谷駅で降ろしたり、本事件敢行後に同人がサリン中毒に陥った際、直ちに教団附属医院に向かうなど、状況に応じて的確に対応し、Iの送迎役として冷静に行動して同人の犯行を実現させており、かつ、同人を渋谷アジトまで運搬するなど、現にその役割を忠実に遂行しているのである。

しかも、右Iが散布したサリンによって、一名が死亡し、一名が加療期間不詳の傷害を負っているのであって、被告人自身の分担した路線の部分に限っても、生じた結果は極めて重大である。

(2) 次に、被告人は、長年教団の出家信者としてAに帰依し、教義に疑問を持つこともなく、細菌兵器の生成や教団内で殺害された遺体の焼却等の違法活動にも関与してきた末、本事件においても、サリンの散布によって多数の死傷者が出ることを認識していたにもかかわらず、これをヴァジラヤーナの教義に基づく救済行為であると考え、何らの躊躇もなくこれに関与したというのであり、被告人個人の動機も独善的であって、強い非難を免れない。

(3) 被告人は、本事件の被害者及び遺族ら関係者に対して未だに何ら慰謝の措置を取っていない。加えて、被告人は、取調べの際、本事件で多数の被害者を出したことについて謝罪と反省の言葉を述べ、教団宛の脱会届を提出していたにもかかわらず、当公判の最終段階において、脱会届は自分の本心に基づくものではなく、Aへの信仰は変わらない旨宣言するに至っており、このような態度は、自己の犯した犯罪の原因や重大性に目をつぶり、被害者及び遺族ら関係者の受けた苦痛の深刻さを全く省みないものであって、誠に遺憾と言うほかない。

2  判示第二の事実(犯人蔵匿・隠避事件)について

本事件は、いわゆる目黒公証役場事務長拉致事件を教団が惹き起こしたという事実を隠蔽し、教団を護持する目的で敢行されたものであり、その動機は誠に身勝手であって酌量の余地は全くない。

犯行態様についても、右拉致事件を犯した信者を教団施設から連れ出し、女性の服装で変装させ、整形手術をするなどして、東京から金沢、京都へと広範囲に移動させたというものであって、巧妙かつ悪質である。

また、本事件は、教団幹部らが共謀の上、配下の信徒までも動員するなどして敢行されたもので、教団ぐるみの犯行であり、その組織性は顕著である。

被告人は、教団幹部のNらの指示を受け、他の共犯者らと連携して、前記信者を連れ出し、各逃走先のホテル等に誘導したり、共に宿泊したりするなどして、終始重要な役割を果たしている上、自身地下鉄サリン事件という重大犯罪に関与した後もなお本事件を重ねているのであって、規範意識の欠如も甚だしい。

3  加えて、被告人は、各事件を犯しながら、何ら罪の意識のないまま、仲間の教団信者らとともに約一年半以上にわたって逃亡を続けていたのであって、犯行後の行動も芳しくない。

4  以上の諸事情に照らせば、被告人の刑事責任は誠に重大と言うほかない。

三  しかしながら他方、本件には、次のような諸事情も認められる。

1  地下鉄サリン事件において、被告人が運転手役として果たした役割は必要かつ不可欠であったものの、被告人は、本事件の実行を命じた教祖Aやその意を受けた総指揮者、現場指揮者に従う立場にあった上、サリン散布の実行役と比較しても、その役割の重さに差があることは否定できない。したがって、本事件における被告人の責任は、共同正犯とはいえ、右の者らと量刑上同一には論じられない。

また、被告人が地下鉄電車内におけるサリンの散布に関与するという具体的な内容を知ったのは、渋谷アジトに到着した後であり、本件が教団に対する強制捜査の阻止を目的とするという点については、明確な認識を有していたとまでは言い難い。

さらに、本事件の背景に教団ないしAの説く特殊な教義があったこと自体を格別被告人に有利に斟酌することは許されないものの、本事件は、教団の絶対的権力者であるAが、自己の保身と教団の護持を図るために、特殊な教義の下で信者らの帰依心を利用したという側面も否定し難い。

2  犯人蔵匿・隠避事件においても、被告人の果たした役割は大きかったものの、具体的行動の大部分は、教団内の上位者である幹部の指示に従ってなされたものであり、主導的立場であったとは言えない。

3  被告人には前科・前歴がなく、教団へ入信した動機も、高校中退後無気力な生活をしていた自己を啓発すべく、その手段を模索していたところ、Aの著書に触れて関心を抱いたというものであって、それ自体格別責められるべきものではない。

4  被告人は、取調べの際、当初は黙秘していたものの、地下鉄サリン事件の被害者の悲惨な状況を取調官から聞き、次第に事実関係について詳細に自白するようになり、最後には、被害者に対する謝罪の言葉を述べた上、教団の教義自体が誤りであると述べて反省の念を示し、脱会届を提出するに至ったのであって、右意思表示は当公判の最終段階において撤回されたものの、一時的にせよ、被告人が自ら謝罪・反省の言葉を述べ、教義の誤りを認めて教団から脱会する意思をも示したことは、将来、真の反省悔悟に至る余地を残しているものと言える。

四  以上の諸事情、とりわけ、地下鉄サリン事件は、その罪質、犯行の動機・目的の独善性、犯行の組織性、犯行態様の危険性・悪質性、結果の重大性、被害感情の厳しさ、社会的影響の深刻さ等に照らし、誠に重大悪質な事案と言えること、その一方で、同事件において被告人の果たした具体的役割は、共同正犯とはいえ、指揮命令者及び実行役とは量刑上同一には論じられないこと等を考慮した上、被告人を無期懲役に処するのを相当と判断した次第である。

(求刑 無期懲役)

(裁判長裁判官 木村烈 裁判官 久保豊 柴田雅司)

<以下省略>

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